まず最初に、いとの自己紹介をしたいと思うんだ。
これを読んで、もしかしたら私もそうかもしれないな。周りにこんな人いるよ。
そう気づいてもらうことがこのブログの目的なんだ。
長いけど、これ読んで、病院に行く、誰かに相談する、検索してみるなんでもいいよ。行動してくれたらいいなと思うよ。
このブログを読むことで、知ることでメリットがあるよ!
- 発達障害って身近にあるんだなってわかる
- ひょっとして自分も発達障害かも?って気づける
- 自分の子供がそうかも?って気づける
- そうかも?って思ったら行動ができる
ADHD(注意欠陥多動性障害)私「いと」の発達障害の特徴
この項目で主当たることが多ければADHDなのかもしれないよ。
- 目的のない動きをする
- 感情が不安定になりやすい
- 過度のおしゃべりや不用意な発言
- 注意を持続するのが難しい
- ケアレスミスが多い
- 片付けが苦手
- 忘れ物が多い
- 人の気持ちを読むのが苦手
- 考えるより行動しちゃう
- 特定の分野が苦手(できる分野とできない分野の差が激しい)←これがあるからサボっているように見えちゃうんだ!
いとのADHDと鬱の歴史
これは私「いと」の自己紹介というか歴史ですね。ADHDだとわかっていればもっと楽しい毎日だったかもしれないから、
みんなには早めに気づいて行動してほしいんだ。ADHDじゃない症状もある気がするけど、私もだ!って思う人は調べて見ようね。自分の為だもん。子供の為だもん。家族の為だもん。
私「いと」の紹介
いとには1つ違いの弟がいます。
弟は小さい頃は色白で、目がくりっとして女の子みたいで、かわいかったです。
小さい頃からすでにコンプレックスとお友達でした。
知らないおばちゃんが「まぁ、可愛い子だね」ていうのは弟だけ。
弟は可愛いだけじゃなく、頭も良くて、両親も弟を可愛がるから家族の中でも孤立していたんだ。
小さい頃は嫉妬で、弟に意地悪もしたよ。
みんな弟を見ているのがわかるから、自然と目立たないことで身を守る技を覚えたんだ。
片づけられなかったり、やりなさいってことができなかったから、良く怒られてたよ。
父からは、ほりだされたり。蹴りまくられていたよ。今でいう虐待だよね。(毎日じゃないから安心してね)
いとは理解力がないことを感じて、何か障害があるのでは?なんでそう思ってくれなかったんだろうと今でも、父を許せない。
大嫌い!いとが困っている時に手を差し伸べてくれなかったこと、逆に虐待して心に傷を負わしたことは一生忘れないよ(´;ω;`)ウゥ
なんでも上から目線で、いとのすること全部否定して気に入らなかったら蹴る。
少林寺拳法の先生やってたんだけどさ、弱いものに足だすなんてどうゆうことだよ!って今でもそう思ってるよ。
母に関してはかわいそうだと思っているんだ。言いたいことも言えずに良く我慢しているなと思っていたからね。
母も弟ばかりに構っていたから好きにはなれなかったけどね。
幼稚園
- スカートなのにトイレの仕方がわからないと何度も先生にいいにいって怒られた記憶があるよ。
- 「私が一番なの!」って子から意地悪されたなぁ。
みんなはちやほやするけど、いとはしなかった(できなかった)からだろうなと思うよ。
お菓子取り上げられたり、お誕生日会に私だけ呼んでくれなかったりしたな。
- パンツいっちょになって、絵の具でペイントする時があって、凄く拒絶したことを覚えているよ。
小学生
1年生の時、初めの授業かな。平仮名の練習をしていたんだ。
みんなはすぐ書けるみたいだけど、いとは「あ」を鏡に映ったように反対に「あ」を書いたんだ。
それをみてお母さんが苦笑いしたこと覚えているよ。
2年生の時、物差しのメモリの読み方、時計の針が何分を示しているのかわからなかったんだ。今でも苦手だよ。
3年生の時、宿題を忘れて、良く怒られるようになったんだ。後でやるができなくて。先生はできない私をみんなの前で良く叱ったよ。
プライド高いんだからさ。やめてよ。傷つけないで!って思ってたよ。だから先生大嫌いだったよ。
そのころからさらに目立ちたくなくて、暗くなっていったよ。
前髪も伸ばして人に見られないように自己防衛してたんじゃないかと思うよ。勉強も余計ついていけなくなってたんだ。
4年生・5年生の時は同じ担任の先生で、3年生の担任の先生に怒られていたこと見てたって。
「いとちゃんはできないわけじゃないんでしょ?」みたいに言われて、初めは嫌だなって思ってたけど、
ちゃんと見てくれてる気がして、少し前向きになれたんだ。宿題とかもできてたと思うし、前髪も切ったよ。
6年生の時の先生は担任じゃなかった頃に、いとにハイビスカスの花をくれたことがあって、好印象だったからか、怒られることもなくて平和に過ごせた気がするよ。
夏休みの宿題とかは最終日過ぎても残ってて、いい加減な答え書いて出したのを覚えているよ。
体育も足が遅くて、鉄棒ができなくてダメだったし、音楽も楽譜が読めなくてドレミのカナを書いてたてぶえ吹いてたな。
成績表はあんまりちゃんと覚えてないけど、3が多かった。出来が良いわけではないけど、やる時は一生懸命だから、1は付けにくかったんじゃないかな。
小学生の時、誰かが気づいてくれていたら、毎回そう思えちゃうんだ。
何も知らなかった「いと」、先生達も。いとはさぼっているだけ。そう思われていたんだと思う。
両親も忙しかったから、仕方はないかもしれないけど、気づいてほしかったよね。
習い事
うちの親は書道の先生でもあって、書道とそろばんだけは習っておけ。だったから、嫌々続けたよ。
字は上手くならなかったけど、そろばんのおかげで、算数はできるようになったから良かったんだと思うな。
友達
親のつながりで3人で習い事にいかされてたんだ。
二人ともピアノも習っていて、手先が器用だし、頭も良くって、劣等感半端なかったよ。
その中でもMちゃんのことは好きだったのに、いとの誕生日に違うこと遊んでて来てくれなかったことはすごくショックだったね。
お腹痛いから行けないっていわれて、心配だったからお見舞いに行ったんだよね。
そしたら違う子と遊んでいてあ・・・そういうことかって。
他にも仲良くなった友達何人もいるけど、いとより他の子と仲良くなっちゃって、それ見て嫉妬して、いとは寂しいのに、その子から離れちゃうんだ。
これの繰り返しで、親友と呼べる子はいないよ。変に気を使っちゃうんだ。自分に自信がないからなのかな。
中学生の時
ここでも仲良くなった友達はいるけど、今連絡している子はゼロだよ。
人とのかかわり方がわからないんだろうな。
6年生で優等生で性格の良かった子が、いじめではないけど、いとのこと仲間外れにしていることがわかったよ。ショックだったな。
2年の時、クラスでいじめ問題が起こったんだ。いとの知らない所で。
仲良くはなかったけど、幼稚園から一緒だったの子がいじめられているって。
その時、頼ってくれてたら良かったのに・・・って思ったけど、頼れる存在ではなかったのと、関わったら、いともいじめの対象になると思ったのかなって。
その後はクラスで話し合いが行われ、和解したんだ。
そのことでちょっとうらやましく思えたんだ。不謹慎かもしれないけど、いじめられた子は相談できて、解決ができたから。
いとは、みんなから孤立しているのに、誰も手をさしのべてくれなかったもん。
何をどうしたらいいのかがわからないから辛かったよ。
登校拒否する男の子もでた。この子も幼稚園から一緒で、いとの好きな子だった。
この時は机の中にたまったプリントを家まで届けたりしたけど、彼は心を開いてくれなかったよ。
一緒にいても弱い者同士だったから、勇気には繋がらなかったんだと思うな。
プリントや家に行くことが彼にとってプレッシャーになるんじゃないかと思ってやめたんだ。
家庭科ではミシンの針を何度もおるから、目をつけられてたよ。
他の生徒は先生の事、先生と思ってない態度だったから、先生も辛そうだったな。
中学生の時って、みんなが病んでいて、荒れていて、尖っていて、いい思い出があまりないよ。
やっぱり孤立して身を守ること以外に思いつかなかったんだと思うよ。
高校生
ここでも友達はできたけど、結局連絡を取り合ってる友達はゼロ。
不思議だけど、中学・高校の思い出がどっちの時だったかごっちゃになるんだ。
でも鮮明に覚えているのが、2年の時、クラスに全く馴染めなくて、担任が、うちのクラスに名前は伏せていたけど、一人でおる生徒がおる!って他のクラスでも話したみたいなんだ。
先生に言われて、無理やり友達になってくれるグループがいたよ。
好意的だった子達は嬉しかったけど、そんなグループには必ず、私は認めないから!って子がいて、それを思うとやっぱりは入れなくて。気にかけてくれることは嬉しかったけど、偽物の友達は偽物なんだよ。気を遣われてるのがわかって。痛かったよ。
いとのことをわかってもいないのに、いとに相談することなく、勝手に行動した担任が大嫌いだった。
そんな中でも気の合う先生がいて、先生が「作りたい同好会があるからしてくれへんか?」って、「ケーキおごったるから!」そういわれて、いとの居場所になっていたよ。
先生と生徒というより、友達みたいで、買い物に付き合ったり、見ず知らずの方のお見舞いに付き合ったりもしたよ。
帰る時に私の自転車がパンクしてて「お前、いじめらてるんとちゃうやろな?」って声かけてくれたりして、気にかけてくれることが嬉しかったな。
ほかの生徒からはぼろくそに言われてた先生だったけど、いとはすごく救われてたよ。
その時に、もっと今の心境とか相談できてたら良かったな。たぶん、恥ずかしくて真面目な話はしたくなかったんだ。
喧嘩するほど仲良かったのにな。連絡してみようかな。
親にも友達にも、先生にも相談できなかったんだ。何をどう説明していいのかわからないままだったんだよね。
その先生も結局今の生徒たちとはやりにくかったみたいで、障害者向けの学校の先生に変わったんだ。
「生徒は可愛くていいぞっ」て言ってた。それ聞いて良かったなって思ったよ。
専門学校
勉強ができなかったから、短大に進学もできず、専門学校に行ったよ。簿記が全く理解不能だったことを覚えているよ。
このころの友達とも連絡取ってないな。
就職
まじめそうに見えるから100人くらいの中からいとが選ばれたよ。
医療事務の仕事だったんだけど、忙しいところで、ブラックで、医療事務の仕事じゃないでしょ?ってこともしなくちゃいけなかったよ。初めての就職だったし、言われたことをこなすだけ。今思えば怖いよ(>_<)
これ言っちゃうと大問題になりそうだから伏せておくけど。
この頃から、違和感は強くなっていったんだ。
ケアレスミスの多さ。忙しいからテンパるとミスが続くんだ。
カルテに日付のハンコを押して先生に持っていくんだけど、それが抜けるんだ。
先生から注意をうけて、あやまり、次もっていったら、また日付のハンコがないんだ。わざとじゃないんだよ。一生懸命なんだよ。
それが続くと、先生もブチ切れるよね。
患者さんの名前の書き間違え「スエさん」→「エスさん」こんなのも増えてくるし、医療事務じゃない仕事も任されてたから、こんな間違いいっぱいしてる自分が怖くなったんだ。
先生にも怒られ、先輩にも、怒られ、嫌み言われて、それでも辞めないわよね?辞められると大変なんやから!って言われて、
続けてたけど、先生に、君はここには合わないよ。辞めろ的な発言があり、辞めることになったよ。
辞めないっていったやん!先輩にも怒られたけど、先生が言ったなら仕方ないと、諦めてくれたんだ。
ここから次の人を育てるまでが辛いよね。
相当ブラックだったから・・・私が辞める前に辞めちゃうんだ。それでも決まるまでは頑張ったよ。
そこから仕事転々とするんだけど、これもミスや人間関係が理由で辞めることになるんだ。
夫との出会い
夫とはブログの中で出会ったんだ。私のたわいもないブログに来てくれていた。
家に帰るつもりが家を通り越してたとか、知らないうちに高速に乗ってしまって遠回りになったとか。
このころは、ブログでミスしたことを吐けてたんだよね。
ボクシングで力入れすぎて、親指の付け根の軟骨割れたりしたのをUPしたら、ぷよぷよの手がかわいいとかかで言い寄ってくれる男性が何人かいたりして、モテキ到来だよ(笑)
そんなこんなで、夫と出会い遠距離恋愛が始まるんだ。夫はマメな人で毎日何回も電話してくれたんだよ。
気にしてもらえることが嬉しくてね。人生初かも、いとをかわいいと思ってくれる人ができたんだ(#^^#)
そこからは毎日楽しかったよ。今までに無いものを全部手に入れた感じがしたよ。
遠距離恋愛から結婚、それと同時期に夫の母が再婚。そして夫の娘が結婚とすごい奇跡的なことがあったんだ。
とりあえず、血は繋がっていないし、戸籍も一緒じゃないけど、娘と息子ができたんだよ(*^▽^*)
義母が70歳オーバーで再婚をした時のお相手が60歳オーバー。どう考えても先に義母が亡くなると思っていたわけなんだよね。
それが、義父の突然死。そこから、いとに異変が起こるんだ。
正直にいうと、夫さんは長男だから、義母とはいずれ、一緒に住まないといけなくなるとかそういうのが、義母の結婚で、嫁姑問題はいとには関係ないと思っていたのが、のしかかってきたんだ。
義母からの、「お願いね」が苦痛で、プレッシャーで押しつぶされるよな気持ちになったよ。
義母は人当たりはいいんだけど、夫さんを捨てて他の人と一緒になってる人だから、夫さんに頼ることさえ、イラっとくるんだ。
癌になって、抗がん剤治療して、闘病中だから、無視はできないけど、いとも不安定になるので、あまり関わらないことにしているよ。
義母と関わることで、おかしくなるのは、夫さんも望まなかったし、夫さんは誰よりも義母がどんな人かを理解しているから、無理に近づかなくていいってことになっているんだ。それでも初めは大変だろうと関わっていたんだ。そうした結果・・・
- 首が絞めつけられている気がするよ。
- 後頭部がざわざわするよ。
- 頭が重くて、壁におでこをつけていないと立ってられないよ。
- 照明の影が揺れるのが気持ち悪いよ。
- うなずくと揺れて気持ち悪いから相槌が打てないよ。
夫もまた言ってるよみたいに相手にしなくなってきたんだ。
夫が一回り年上なので、義父のようにならないか心配で、毎日、必ず帰って来てよが挨拶になったよ。
夫から返事がないと死んでいるかもと不安になってしつこくメールしたり、寝ているか、死んでいないかを確かめるようになったよ。これはADHDはなくて鬱の症状になると思うんだけどね。ADHDの人が鬱を発症するのはよくあることらしいよ。
体調が悪いことを内科で相談したら、心療内科を受診したらどうだろう?そう言われて、それでも、ちょっと抵抗はあったけど、毎日が辛いから、行くことにしたんだ。
初めは鬱ってことで、処方してもらって、症状がましになって、また嫌な事があって、鬱がひどくなってを繰り返してたんだ。
先生に状況を伝える中で、ケアレスミスが多い、数字を入れ替えて読む。鍋をこがす。物を何処かに置いてくる。
カバンの中がぐちゃっぐちゃ、片づけられない。ケーキがなくなった。
などを伝えたら先生がADHDもあるようだね。と言われて、ADHDって何ですか?ってなったんだ。
そっか・・・それで生きにくかったんだ。今までかかっていたモヤが晴れたようだったよ。
解決したわけじゃないけど、気持ちがスッキリしたんだ。
その時は大きな病院でクラークって仕事をしていて、ケアレスミスが許されない環境だったんだよね。
辛くてADHDの処方が始まったんだ。ミスは減った気はするけど、副作用がひどかったんだ。
光過敏症や動悸、息切れ、血圧上昇、鬱の時にも感じた、首の締め付けられ感、車の揺れで吐く、光の加減で入れないお店があったり、LEDライトが辛かったり、夕日が辛かったりしたよ。
土日になると吐いたりしたのはストレスでかな?
この職場もかなりのブラックで、先生と看護師のパシリだよね。
ちょっとのことで、命にかかわるかもしれない・・・そう思うと怖かった。
それなのに、環境は悪くなっていくばかりで、人が辞めていく・・・私もう無理なんだよ、これ以上無理なんだ・・・。
そう思っている時に、上司に切れ気味で訴えたんだ。改善するどころか悪くなってるのに、これ以上に働けというのか!
現場に血が流れているんだよ!・・・これはADHDっぽい症状だよね。
この少し前から、イライラが隠せなくなったんだ。
仲間には苦労を知っているからぶつけないけど、上司に対してはブチ切れられるんだよね。不思議と。
結局仕事辞めることにしたんだ。精神異常者だからってことで、辞めさせてくれたよ。人が足りないのにね、あっさり切るんだよ。
会社ってとこはそんなとこなんだよね。
ホワイトな職場を見たことないからいいところはきっとあるんだろうけどね。
仕事辞めて1年過ぎて、社会復帰しなくちゃと思いつつ、自宅でできる仕事をと考えているところです。
自己管理が苦手なので、これも適職ではないのかもしれないけど。
伝えたかった事
長々とすみません。
私が伝えたいことは、ADHDだけじゃなくて、発達障害の事を知って欲しいということです。
知っていれば、気づいていれば、今まで苦労したことの8割くらいは解決できると思うんだ。
- お薬を服用することで改善できるかもしれない
- 近い人に理解してもらえることで生きやすくなる
- 自分の適性で好きなことが見つかるかもしれない
- 子供を怒らなくても済むようになるかもしれない(理解できていたら、苛立たないで済むんです)
子供のいる人には特に気づいてあげて欲しい。うちの子に限って・・・。
見ないふりはダメだよ。いっぱい感じていっぱいわかってあげて欲しいんだ。
いとみたいな思いをする人が一人でもいなくなりますように。
今はいろいろあるけど幸せだよ!
最大の幸せは、理解してくれてる人がそばにいる事につきるよ。